次の行き先は大島。
ハンセン病療養所があり、
現在は元患者の方が30~40名暮らされてるそうです。
そんな病気の方が苦しんでいたであろう場所を
芸術祭の舞台にしてしまって、良いのか!?と
疑問に思いましたが、
ワタシみたいな全くハンセン病の知識がない人間が、
そこでどんな事が起きていたのか知るきっかけになったので
そこが狙いだったのでしょう。
今も住まわれている方もいるので、
細かく注意が書かれた紙を渡される。
きた。
オリーブちゃんが描かれた船。
大島到着
ハンセン病について詳しく知りたい方は、
香川県のページにいろいろ載っているので参考にしてください。
拙い語学力で要約すると
当時ハンセン病は見た目も変形してしまう
絶対治らない恐ろしい伝染病とされてた。
病気になったら最後、
親兄弟から離され遠い土地に隔離され、
まるで刑務所のような生活を強いられていた。
それが国の政策。
元患者の方の手記を読むと
何も悪いことをしてないのに、
病気になっただけで何故こんなひどい暮らしを
しなければならないのか、胸が痛くなりました。
そして未だに差別や偏見が残るという。
そういう病気の偏見って昔の話でしょ、
って思う方もいるかもですが、
いやいや、つい数年前も
新柄コロナがうつるから東京人は
田舎に来るな!っとか、
コロナにかかった人が出た家は村八分みたいな
偏見が横行してたので、
人間って永遠に同じ事繰り返してるんですよね。。
現在は薬の進歩により、
正しく治療すれば100%完治する為、
治ったら地元に帰る事も可能なのですが
元患者の方々は高齢が多く
そのまま療養所に住まわれてる方もいます。
その一つが瀬戸内海の大島です。
到着すると、芸術祭の間
希望の人は係の方から
島の説明を受ける事が出来ます。
島の事をちゃんと
知っておいた方が良いかなと、
参加しました。
町の様子、納骨堂や寺、教会など。
最後に説明されたのがこれ。
海に捨てられていた解剖台。
当時は患者は自分が亡くなったら解剖しても良いと
契約書に書かされていたとか。。
解剖台は必要なくなった時期に海に捨てられたのですが、
そういう歴史も残しておくべきだと引き上げたそうです。
自分の最後がこんな無機質なコンクリートの塊の上で
メスで切られるってのが決まってるなんて、なんともむなしい。。
ここで説明してくださった方とは解散。
すっかり気分が下がったところで、芸術祭の作品を見ることに。
元入居患者の寮を使って作品を展示していました。
海峡の歌
昔はひどい暮らしから逃げるため隣の島まで泳ぐ人が居たそうで
実際に作者がその海を泳いでみたというインスタレーション。
青空水族館。
泣く人魚
海の漂着ゴミで作った何か
Nさんの人生
作者が入所していたNさんから当時の生活の話を聞き
それを空間にライブペイントして表現。
なかなか壮絶な人生で心が痛む。
穏やかな海岸。
元患者さん達は海を見ながら
故郷に思いを馳せてたかもしれない。
あと、対岸の島まで泳ぎ切れば逃げられるかもしれない。。と