イダの浜は真ん中から右側と左側でサンゴの雰囲気が違くて、
どちらかというと棚っぽいサンゴが多い左側の方が好みでした。
あと、引き潮の方がシュノーケルだけでも
わりとサンゴに近づけます。
立地の悪さからひと気はほとんどないだろうと思ってたら、
リゾートホテルのお客さん達が
10名単位でワー!とホテルのクルーザーでやってきて、
別にサンゴ見ないならここでやらなくて良くない?
みたいな水上のスケボーみたいなアクテビティとかワイワイして、
1~2時間でワーとまた帰っていきました。
あー慌ただしかった。
帰った後はお客3~4組で
浜は静かでゆっくり出来ました。
一人で浜辺にゴロりとなって、
波の音を聞きながら流れる雲を眺めたり、
貝を拾ったり
ホント楽しくてずっと居たいぐらいでしたが
フェリーの時間に合わせて帰らねば。
浜側はなにも施設はありませんが、
港側には海の家みたいのが何件かあり、
事前にネットで調べておいた店は閉じていたのですが、
別のお店が開いていてシャワーが浴びれて助かりました。
この辺の海の家、と言っても
個人の方が気まぐれで細々やっている感じなので、
やってるかやってないか行ってみないと
分からないので
塩でベタベタのままとりあえずタオルで拭いて
服着て帰らないかなとか考えてたのでラッキー。
テラスでひと息いれます。
お金を入れたらどうなるか分からない自販機が。
ピカリャーさんだそうです。
時間がなくて今回は見学出来なかったのですが、
こんな南の果ての場所に船浮要塞、
戦争の為の施設が作られていました。
港から見えるところにでっかい当時掘られたトンネルもありました。
沖縄本土は激しい戦地として知られていますが、
そこから現代でも飛行機とフェリーを乗り継がないと行けない
南の果ての場所に戦争遺跡があるとは驚きです。
船浮炭鉱跡というのもあって、
船浮炭鉱跡というのもあって、
マラリアだらけのジャングルで人が住めるような場所じゃないのに、
儲かるからと騙して連れて来た人を因人のように
強制労働をさせていた場所でもあります。
賃金は、炭鉱でしか使えないお金で意味ない。
働く人を逃げないよう監視する人も連れて来た労働者にやらせて
逃げた方も逃げられた方も仲間なので、
逃げにくくさせるナチスの収容所方式。
そもそも逃げてもジャングルと海しかないので
どうしようもないのですが。。
マラリアの病気が凄くて帰れないまま
亡くなった方も膨大な数みたいです。
では、フェリーで車を置いてる港へ戻ります。
現地では、港で資料が貼って会ったりと多少知識はあったものの
空と海とサンゴと魚と自然を満喫、
リゾート気分を味わっていました。
帰ってからでも
そーゆー暗い歴史もあるんだよ的な
部分も把握しておくのも良いのではないのでしょうか。
戦争遺跡マニアの方のサイトも自分は好きで
あちこち見るのですが、
さすがにはるか南の西表島まで、
探索に来ている方はいないですね。
では、フェリーで車を置いてる港へ戻ります。