※この記事は2014年に行った旅行を2015年に書いたものです。
町の様子は当時のものです
あえて遠回りな海側ルートを使って南下しようと思ったのは、
2014年5月現在の被災地を見ておきたかったから。
なんで見たいかと聞かれて明確な理由に困りますが、
見ておかないとという気持ちになったからとしか
言いようがないかな。
しっかり被災地を見ようとすると、
結構高額なタクシーを
チャーターしないといけないので、
今回は公共の乗り物で見える範囲で
見ようと思いました。
再建ではなく
線路があったルートをアスファルトで固めて
代わりにバスを通しています。
余所者の私には、
元々こういう場所だったのか
崩れた建物を片付けて更地にしたのかは
見分けがつきませんが、多分後者なのでしょう。
賑やかに騒いでるこの子達も津波で苦労しのかな、、とおもんぱかる。
今はこんなに穏やかな海なのにね。
バスは進み、
今はこんなに穏やかな海なのにね。
大分日が暮れましたが、
車窓から絶対見ておきたい場所がありました。
奇跡の一本松と呼ばれている、
一本だけ流されずに残った松です。
本当はバス停があるので降りてじっくり見たかったのですが、
一度降りると暗い中1時間以上
次のバスが来ないのでやめておきました。
バスがいよいよ通過、
少々遠くで日暮れでシルエットだけですが
あっあれだ!ってのは分かりました。
樹脂につけてサイボーグ化してまで
保存する必要があるのか?と議論されていましたが、
やはり津波の記憶はある程度残すベきだと思います。
地元の方が津波の恐ろしさを忘れないようにとかではなく、
訪れた他の土地の人間にも
分かるようにしておいてほしいです。
松の周りは、町が広がっていたはずですが、
一軒も家はなくショベルカーで盛り土をして
地面を底上げしているところでした。
ここが被災地だと知らないと、
ただ空き地がいっぱいあるねーなんて
のんきな事を言いかねない、
そこにシンボルの
松があれば津波で被害を受けた土地だと分かります。
知ったから何か出来るわけじゃありませんが、
知ってると知らないとでは
知ってる方が良いはず。
平らな地面しかない場所で、
一本松は希望の象徴という印象を受けました。
バスは進み、
一番被害が大きかったとも言われる
陸前高田市に入って行きました。
本来の駅があった場所はホントに壊滅的で、
新しい駅は内地の高台に移動したので、
バスは海側の方は走りません。
なので、とっぷり日も暮れて薄暗くなってしまったので
陸前高田市の様子は見られないなと思いながら
窓を眺めていました。
高台から開けた下が見下ろせる場所通過する時、
はっとしました。
海沿いに広がる広大な平地に明かりが一つもなく
真っ暗だったのです。
高台の方は普通に明かりのついた家があり、
高台の方は普通に明かりのついた家があり、
道路沿いにも街灯があります。
下に広がる街だった場所は真っ暗、
イコール誰もいない、誰も住めない、、
津波が襲った場所、
どれだけの人達がお亡くなりになったのか、、
旅の前に街があった頃の写真も見た事があったので、
街全体がなくなってしまうとは
途方もない恐ろしさと
居た堪れない気持ちになりました。
私が見たのは、
被災地のほんとに一部だけだし、
被害に合われた方の手助けも何もしておらず、
自己満足なのかと思いますが
実際見て感じた事、考えた事は
有意義な事だったと思っています。








